教科書の「十二経脈の病証」の付録には,『霊枢』経脈篇の書き下し文が載っている。
「是れ,肺を主として生ずる所の病は,咳す,…。」、「是れ,津液を主として生ずる所の病は,目黄ばむ,…。」(原文は,「是主肺所生病者、欬……。」 「是主津液所生病者、目黄、……。」)
訓点文または書き下し文を読めば,訓読者がどのように文の構造を理解したのかが分かるのが一般的だが,この場合それがよくわからない。
いったい主語はどれなのか。書き下し文を読んだところでは,「肺を主として生ずる所の病は」が主語のように感じられるが,その場合最初の「是れ」とは何なのか。
発語の語気助詞「夫(それ)」と同様な語気助詞なのか。「是」は語気助詞の使い方もあるが,文頭に置いて語気を強めるという用法はないのではないか。あるいは接続詞「①ここにおいて。そこで。(『漢辞海』)」と理解しているのだろうか。または指示代名詞として理解しているのか。その場合は何を指すのか。
この読み方が特殊なのかというと,そうではなく,戦後の昭和では一般的だったらしい。『鍼灸医学大系 黄帝内経霊枢』(柴崎保三,雄渾社,1979)には,“従来,……,これを「是れ肺を主として生ずる所の病は」と訓じ,これを所生病と称し,内因に由って生ずる病気だと説明し,聞くもの,唯それを鵜呑みにして敢えておかしいという疑問も起さず,今日まで経過して来たことは,誠に不思議な話である。”とある。
江戸時代では次のように読んでいたらしい。
○寛文三年(1663)本二十四巻・訓点付き和刻本(『鍼灸医学典籍大系』第五巻,出版科学総合研究所発行)饗庭東庵とその門人である吉弘玄仍による校訂・付訓
「是レ肺ノ生スル所ノ病ヲ主ル者ハ、欬シ、上気喘渇シ、……、掌中熱ス。」
○『鍼灸甲乙経』植村藤右衛門刊行(明和年間〈1764-1771〉以降?)・訓点付き和刻本(『鍼灸医学典籍大系』,出版科学総合研究所発行)
「十二経脈絡脈支別第一上」
「是レ肺生スル所ノ病ヲ主ル者ノ欬シ上気喘渇シ……掌中熱ス。」
この2つの和刻本についても,「是」をどのように理解しているのかわからないなあ。
2 件のコメント:
馬蒔は「是皆肺經所生之病耳」といい,桂山先生は「馬氏以此一句爲結文」という。してみれば,「是」は,その前に「これ動ずるときは」として列挙する諸症であろう。しかし,それでは是動病と所生病という枠組み自体がふっとんでしまう。いいのか。そこで,私は,「是主肺。所生病者,」と句読し,「これは肺を主とす。生ずる所の病は,」と和訓する。つまり,是動病の総括として,肺が主るといい,以下ではその経脈の流注上に生ずる症状を列挙すると解する。「是主肺」の「是」は,所謂是動病を総称し,「是動病」の「是」は原穴付近の脈を指す。
この解釈,多分,私の創説ではない。残念ながら。古い誰か(思い出せないが,中国の奇矯な学者だったと思う)の片言に触発され,馬王堆の十一脈経を見て確信した。
参考に,次のような意見もあります。
以下は『針灸経典理論闡釈(修訂版)』〔趙京生,上海中医薬大学出版社,2003〕の要約です。趙京生氏は中国中医科学院鍼灸研究所所属。
「陰陽十一脈灸経」(以下「陰陽」と略)の記述形式「是動則病,……,是×脈主治。其所産病……,為□□病。」(□は数字)のうち,「其所産病」より前の部分が原文である。「其所産病」以降は,後の人が「足臂十一脈灸経」(以下「足臂」と略)を主とするその他の医学文献に記載されていた病候を,自己の考えにもとづいて,ここに書き足した附録部分である。
『霊枢』経脈篇の編者は「陰陽」のこの病候記述形式を継承して,「是動」と「所生」に分けた。またさらに新たな病候と「足臂」からの引用を「所生」部分に追加した。すなわち,『霊枢』経脈篇の「是動」「所生」の区分は,成書時に依拠した医学文献に対する,編者の理解と採用方法の違いによるもので,病候を分類しようという意図から生じたものではない。
後の人が「是動」「所生」の本質が分からなくなった原因は,主に『霊枢』経脈篇の作者が「陰陽」に対して行なった変更にある。1つめは,「陰陽」の「是×脈主治」という句の位置と用語を借りながら,新たな内容に書き換え(「是主×」),治療に関する内容は「是動」「所生」病候の後ろに移動させた(「為此諸病,盛則瀉之……」)。これにより「陰陽」の「所産」部分が原文でなく附録文であるという痕跡を消し去ってしまった。
2つめ。『霊枢』経脈篇の「是主×所生病者」は,もともとは「陰陽」の「是×脈主治。其所産病」という明らかに独立した2つの語句から生まれたものなので,「是主×。所生病者」と2句で読まなければならない。「是主×」という句は,ただ脈とそれに対応する臓腑との関係を示しているに過ぎず,主治には関係がない。
〔訳注:「陰陽」の「是×脈主治」の「是」はその前文の病候を指すが,経脈篇作者の意図にもとづくと,経脈篇の「是主×」の「是」は篇冒頭の「××之脈」を指す,と趙京生氏は理解しているようだ。〕
しかし,経脈篇が「陰陽」を上述のように書き換えたことにより,後の多くの人は「是主×」と「所生病者」を誤って一つの句として読んでしまい,これにより「是動」「所生」という分類の意味を解釈するようになった。
異なる医学文献中の経脈病候を,異なる記述方式を用いて,一つの書に収録したことが,「是動」「所生」が生じた直接の原因である。
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