2012年7月28日土曜日

段落に分ける

例えば,『霊枢』を開いてみる。第一巻の第一篇,九針十二原の冒頭にもずらっと漢字だけが並んでいる,目眩がする。
さてどうするか。とりあえず,段落に分けてみましょうか。
最初に,前回だったか前々回だったかに言ったように,問答の辞はチェックする。この篇の場合は,篇首の「黃帝問於歧伯曰」と,何行か隔てての「歧伯荅曰」,それと篇の中程の「黃帝曰」と「歧伯曰」ですね。(上の写真版には,二度目のはまだ出てこない。)問答に見えて,実は歧伯が延々と論じている文章ですから,逆に段落の目安になる。
その次には,『太素』ではどの巻のどの篇に在るかを,探ってみてはどうでしょう。『太素』の篇立てなんて,それほど信頼できるのかと言われそうですが,まあ少なくとも我々よりは優れた頭脳が,う~んと古い由緒有る資料に基づいてやったことでしょうから,とりあえず使ってみます。九針十二原についていえば,巻21に九針要道と九針所象と諸原所生です。九針要道を二つに割って,間に九針所象がはさまるという具合ですから,とりあえず四つの段落に分かれます。
さらにとなると,これは九針十二原に特別な資料ですが,重要な詞句を解説した『霊枢』の小針解,『素問』の針解が有ります。解釈の対象になっている詞句に色塗りでもすれば,色つきの行とそうでない行がくっきりと分かれるはずです。色つき部分は,九針十二原の中でも際だって古くから重視されてきた段落,だろうということになります。
もう一つ,やっぱり九針十二原に特別な,というに近いものに,「畢矣」の二字が有ります。「針道畢矣」,「九針畢矣」,「針害畢矣」,「刺之道畢矣」。これはまあ,段落のお仕舞いという意味です。
勿論,本来は文章の内容から段落分けをすべきなんですよ。でも,その前に機械的にできる,やってみるべき段落分けをやってみたわけです。
段落に分けて,すこしは取っつきやすく(?)してみました。さて,次はどうしよう。

0 件のコメント:

コメントを投稿