李鼎『鍼灸学釈難』(重修版 2006年 上海中医薬大学出版社)の一部です。
『素問』皮部論理解の為の資料として,存誠堂さんが訳しました。
(1) 太陽病 太陽は三陽の始まり、またの名称は“巨陽”。《素問・熱論》に言う、“傷寒一日、巨陽これを受く。故に頭項痛み、腰脊強ばる。”《傷寒論》は、“太陽の病たる、脉浮頚項強痛して悪寒す。”と言う。表証の始めであり、悪寒、発熱、頭痛、項強等の症が現れる。これらの病症は、頭上及び身体後面に、主に反映している。それ故に、太陽皮部に属する。太陽は三陽の始まりであり、外邪に対する一つの防衛線である。柯韵伯は“太陽は表を主り、心君の藩籬(まがき、囲い)、なお京師(京城、みやこ)の辺関(国境上の関所)のごとくなり。”と言っている。辺関は、“関”に対する最良の解釈である。風寒外感は、常にまず太陽を犯す。身疼、腰痛、骨節疼痛、鼻鳴、乾嘔、汗出、悪風、無汗にして喘等は皆、太陽病に属す。皮部の名称は、“関枢”。既に表明したように、これは三陽の“関”であり、また寒熱症候上にある悪寒発熱の“枢”(転;軸を中心としてぐるぐる回る)の特徴をはっきりと示している。
(2) 陽明病 陽明は陽気が最も盛んであるという意味である。《素問・熱論》が述べるその病症は、“身熱し、目疼みて鼻乾き、臥することを得ざるなり。”であり、《傷寒論》には、“陽明の病たる、胃家実これなり。”とある。主に胃腸実熱症候をなし、悪寒はせず反って悪熱し、煩燥、讒語、不大便、腹満痛等をあらわす。病症の多くは、頭面及 び身体前面に反映している。それ故に、陽明皮部に属する。陽明は、“闔”である。闔の原義は門の扉を指し、門の主体であり、三陽中で陽明病は最も盛実である。柯韵伯は、閉闔の意味により現れる症について解釈していて、不大便、不小便、不能食、等の症状は、“闔”を特徴としないものないと説明している。皮部の名称は、“害蜚”であるが、“害”は、実は“闔”の通仮字である。呉崑の《素問》注に、“害、闔に同じ”とある。これは一つの優れた見解である。王冰はこの解釈を“害、殺気なり”としようとするが、これを根拠とすることはできない。陽明において陽気盛んにして、悪寒せず、ただ発熱する。陽気盛んにして蜚揚(飛揚:高くあがる)する。故に、“蜚”と称する。
(3) 少陽病 少陽は三陽の終りに連なる。《素問・熱論》が述べるその病症は、“胸脇痛みて、耳聾す”であり、《傷寒論》は、“少陽の病たる、口苦く、咽乾き、目眩くなり”と言う。その主症は、往来寒熱、胸脇苦満、心煩してよく嘔す等である。これらの病症は、主に頭と身体側面に反映するので、少陽皮部に属する。少陽は“枢”であり、三陽病が転化する重要点(かなめ)である。柯韵伯は、さらにそれを解釈して“陽枢”とする。“脇は少陽の枢であり、小柴胡をかなめの剤とする。太陽の邪が少陽に転じようとするとき、少陽の邪が陽明に合しようとするとき、いずれも皆、脇より転じるのである。”と述べるである。すなわち、胸脇苦満の症候が現れることが主となる。皮部の名称は、“枢持”であり、《鍼灸甲乙経》は“枢杼”に作る。杼は布を織る梭(ひ:機を織るとき、よこいとを通わせる道具)であり、往来変動を意味する。寒熱症候上の表現である寒熱往来は“枢”の特徴を具えている。
(4) 太陰病 太陰は陰気が最も盛んで、陽明と相対する。《素問・熱論》は、“太陰の脉は胃中に布き、嗌に絡す、故に腹満ちて嗌乾く。”と言う。《傷寒論》は、“太陰の病 たる、腹満して吐し、食下らず。自利ますます甚だし。時に腹自から痛む。”と述べる。すなわち、上より吐し、下より利す、腹満して痛む等の裏寒症候は、太陰に属する。三陰の始めにならび、故に“関”を称し、陰気が最も盛んで陽気が潜みかくれる故に“蟄”と称する。“害蜚”の意味と正に対照をなしている。これは《素問・太陰陽明論》の言う、“陽道は実たり、陰道は虚たり。故に賊風虚邪に犯される者は、陽これを受く。飲食節あらず、起居時ならざる者は、陰これを受く。”のことである。後代の人は、胃腸病をその実証は陽明に属し、虚証は太陰に属すると分析した。太陰は三陰の“関”であり、脾胃の“倉稟”を損壊させるように正常の運輸作用を失って、上に阻隔(吐)が現れ、下に洞泄(利)等が現れる。
(5) 少陰病 少陰病は陰中の陽であり、裏寒にして微熱がある。《素問・熱論》に言う、“少陰の脉は腎を貫き、肺を絡い、舌本に繋がる。故に口燥き、舌乾きて、渇す。”《傷寒論》は、“少陰の病たる、脉微細、但寐ねんと欲す。”と述べる。その症は裏寒を主として、下利、清穀、内寒外熱等が現れる。寒にして熱がある故に三陰の“枢”であり、三陽の“枢杼”と区別して、その本質が虚弱であることから“枢儒”と称した。“儒”の意味は柔弱で柯韵伯ある。(《鍼灸甲乙経》、《太素》は“檽”と作り、音は軟である。)軟弱の枢である故に、柯韵伯は但寐ねんと欲すは“陽枢”と少陰の“陰枢”を相対して解釈している。張隠庵は注釈で“少陰は枢を主とし、外内に出入し、但寐ねんと欲して、神気外に浮かぶことあたわずして、陰陽の枢転すること利せず”と述べている。ただ寝ることを欲する、あるいは心煩して眠ることができないというのは、少陽と蹻脉に属して陰陽が枢転して利することが出来ないことの表現である。さらに柯韵伯は、手足厥冷、拘急は、“四逆、皆少陰の枢機主どらず、升降不利の致すところなり”との認識を示している。
(6) 厥陰病 厥陰は陰気が尽きる変わり目であり、陽気が上逆するので陰中の陽とする。《素問・熱論》は、“厥陰の脉は陰器を循りて肝を絡う。故に煩満して嚢縮む。”と言う。《傷寒論》は、“厥陰の病たる、消渇、気上りて心を撞き、心中疼熱、飢えて食を欲せず、食すれば則ち蛔を吐し、これを下せば利止まず。”と述べる。その症は主に裏熱であり、気逆、手足厥冷となる。陰気が最も衰えて、三陰の“闔(害)”とする。三陰の後に連ねて、引き受けるの意味がある。故に“肩”(担う、引き受ける)と称する。王冰の作る“肩掖”の運動を妨害するという解釈は“害蜚”の注解と同様に誤りである。主要なことは“害” が“闔”の通仮字であるということで、言うまでもないことである。厥陰は三陰の終りにあって、熱がまた勝ってきて正邪の交争は深刻な段階となる。症は、寒熱錯雑、厥熱往復、上盛下虚が現れる。厥より熱が多く、正が勝って陽の回復したものは病が退き、厥がより多く陽脱し陰尽きる者は病は治らない。
六経皮部の命名の含意を見分けることで、三陽三陰には“関”、“闔”(害)、“枢”の部があり、三陽と三陰の始まりが“関”と称され、陽の盛あるいは陰の衰を“闔”と称し、陽中に陰があり、陰中に陽があり、また寒熱の間にあたるものを“枢”と称する。別れて六つとなるので、関枢、闔蜚、枢杼、関蟄、枢儒、闔肩の諸名がある。これは六経の病症と病機について、重要な啓示的意味がある。
さらに、六経弁証の道筋を説明するために、八卦の卦象と結びつけて解釈をしてみてもよいだろう。三陽は八卦中の乾卦のようであり、三陰は八卦中の坤卦のようである。太陽の証は悪寒発熱を現し兌卦と応じ合い、陽明の証は熱があって不寒を現し離卦と応じ合う。少陽の証は寒熱交作し震卦と応じあう。太陰は脾土に属して艮卦と応じ合う。少陰は腎水に属して坎卦と応じ合う。厥陰は肝風に属して巽卦と応じ合う。その対応関係については下表を参照のこと。
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