2012年10月1日月曜日

ワカラン

皮部論
体表の三陰三陽に浮絡が現れれば,それぞれの部位の絡と名付けるが,その絡が盛んであれば,入って経脈に客し,留まって去らなければ,やがては府、蔵にまで入り込む。
陽の部の浮絡は,色を診てその病を知ることができる。青なら痛,黒なら痺,黄赤なら熱,白なら寒,入り交じっていれば寒熱である。陰の部のは,経脈に関わる蔵の五行の色で固定していて変わらない。
害蜚とか枢持とか関枢とか,あるいは枢儒とか害肩とか関蟄とか,名付けたことの価値が分からない。

気穴論
「聖人は語り易い」は兎も角として,「良馬は御し易い」などと,主君に向かって言って大丈夫なのか。侮蔑の感じは無いのか。
ツボの羅列の中に,蔵兪とか府兪とかが有るのは,『霊枢』本輸篇の記載に基づくのだろう。だとすると,気穴論は少なくとも本輸篇より新しいということか。
ツボの羅列の中には,蔵兪とか府兪とかの外にも熱兪とか水兪とか,あるいは頭上の五行に五つずつとか,いわばツボのグループの羅列と,個別のツボの羅列が有る。本当に一つの資料だったのか。
「すでに気穴の処,遊鍼の居を知る,願わくは孫絡、谿谷を聞かん」とあるのは,所謂ツボに気穴の外に,孫絡、谿谷という,やや性格の異なるものが有ると言いたいのか。

読書会は,おおむね,こうしたワカラン!の繰り返しで終始しています。

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