2013年3月21日木曜日

子万民養百姓

百姓というのは,もともとは百官です。それが次第に意味が拡がって,むしろ庶民の側に傾いて,ついに昨今の中国語では軍人や役人じゃない一般庶民です。ただし,いわゆるドンビャクショウというような蔑称では無いと思う。
で,読書会に来ている人から指摘されて,調べてみると,意外と古くから,少なくとも庶民を含んだ意味に使われた例が有る。いや,続々と出てくる。『論語』にも『墨子』にも出てくる。勿論,『霊枢』九針十二原に庶民の意味で用いられても全然早すぎない。
とはいうものの,百姓が庶民の意味で使われているとしたら,どうして子万民と養百姓と二重に言うのかが分からない。もつとも,楊上善は「子とは,聖人が百姓を愛すること,なお赤子のごとくなり」なんて言っていたんですね。万民=百姓=今の老百姓つまり一般庶民。困ったね。「万民百姓を慈しみ養う」とでもしなきゃならない。
で,そのものたちから租税を徴収する。租税の徴収自体は,当たり前と考えられているみたいです。古代だって,慈しみ養うためには先立つものが要る。『墨子』にさえ,「その常正を以て,その租税を収めれば,則ち民は費やして病まず」とある。普通に収める分には,庶民もまあそんなに苦情はいわない。そこに税収を負担する民についても,後の文では百姓といっている。
考えてみると,慈しみ養うのと税を徴収するのと,寿命を全うできないのと病がちなのと,似ていてしかもやや反する事項を而でつないでいる。だから「慈養万民百姓」でいいし,不給より不終のほうがいいのかな,と。

1 件のコメント:

ケロリン さんのコメント...

子万民養百姓
中庸の「子庶民則百姓勸…」を引用したのでは?

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