2013年5月20日月曜日

やまのべみのる?

 『東洋医学概論』に「八要の脈」の説明として『脉法手引草』(山延年・やまのべみのる,江戸時代)という名が出てくる。『日本漢方典籍辞典』(小曽戸洋)では「山延年(さんえんねん)」としている。載っている書影を見ると「越後  山 延年養貞 輯」とあり,明らかに「山」と「延年」との間に空白がある。
 小曽戸先生が凡例で「著者の名・字の読み方については判断に迷うものが少なからずあったが,辞典としての機能上,あえてすべてに読みがなを振った。必ずしも読者にその読みを強要するものではない。」と述べるとおり,人名の読み方についてはかなり幅があるのだと思う。
 しかし教科書はわざわざ「山延年・やまのべみのる」と読みがなを振っている。「その読みを強要する」根拠があるのだろうか。まあ,どうでもいいことではあるが,調べてみた。〔  〕はコメント。


①『日本漢方典籍辞典』(小曽戸洋)
「山延年(さんえんねん)(生没年不詳)の著書になる脈診入門書。全三巻一冊。延享3年(1746)に成稿し,明和7年(1770),たひらのうろこ(沢田東江・平鱗)序,同年の宰治(しんさいじ)の跋を付して,同年刊。和文。延年は越後の人で,名は養貞(やすさだ),字は君貢(くんこう),号は北嶽(ほくがく)。白河藩医。幕府医官曲直瀬正挂(まなせしょうけい)に医を学んだ。現代活字本(医道の日本社,1963)がある。」
〔掲載されている書影は,②高岡市古文献資料HPの画像と同じ。(解説もほぼ同じ)。〕

②(富山県)高岡市古文献資料 
http://www3.city-takaoka.jp/kobunken/contents/07/35000/detail.html
〔添付画像2は『日本漢方典籍辞典』掲載の書影と同じ。解説文もほぼ同じ。〕

③富士川文庫目録
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/fuji/mi.html
・『脈法手引草 3巻(前編)』山澄延年編,附:脈解,明和7年刊 和小
・『脈解』山澄延年著,脈法手引草 附録,明和7年刊 和小
〔「山澄延年:江戸時代後期の医師,本草家。紀伊和歌山藩医。文化4年丹波頼理著「本草薬名備考和訓鈔」を,12年水野広業編「可恃録」をそれぞれ校訂し再版した。号は玳洲。」と山延年とを混同していると思われる。〕

④国立国会図書館サーチ
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000606655-00
『病因診候 : 脈法真知 脈法手引草』
北岳先生 著,山延年養谷 輯,藤村表英 考註
耆活堂漢医方伝習所出版部(大阪),1935

⑤『脉法手引草』著者:山延 年(やまのべみのる)校閲:岡部素道,医道の日本社,1963
(1)医道の日本社HP説明:「脈診のイロハから諸病の主脈、並びに生死の脈に至るまで、権威岡部素道が古典『脉法手引草』(明治7年(1770)刊)の現代版として、脈診の実際をわかりやすく書き直した。」
(2)・1~4ページ…岡部素道の「脉診の大要」
 〔脈診のポイント説明。『脉法手引草』や山延年については一言も触れていない。〕
・4ページと5ページの間に扉頁あり…
「越後 北嶽先生著, 不許翻刻 千里必究 / 脉法手引草  全完 / 初学此の書を読まば,まず上下二巻をそらんじ,おぼゆべし。中乃巻には脉法の肝要をしるす。ゆえに其の理を得る事易からず。上下二巻を読んで後よく熟読せば妙を得る事はなはだ近し。」
・5~6ページ…「脉法手引草序,たひらのうろこ」(「…,はじめて学ぶ人のさとりがたきかぎりなるを,延年のごとく是れをうれうる事としありて,…」)
・7~8ページ…「脉法手引草自序,白河医官 山延年識」
・25ページ…「脉法手引草 巻之上,山延年養谷輯」
・170~171ページ…「脉法手引草 跋,友人 宰治 題」 〔宰治の誤りか?〕
〔文中に「何に縁あつてか襄山延年なる者あり,かつて,その兄の命を以て,診脉家の言を論定し,……」とある。〕

 「やまのべみのる」としているのは,今でも出版販売されている⑤医道の日本社『脉法手引草』の奥付にある「山延 年(やまのべみのる)」という表記である。たぶんこれが教科書表記のもとになっているのだろう。
 この本には,『脉法手引草』や山延年についての解説は一言もない。岡部素道校閲となっているが,明和7年本は見ていないようだ。「北嶽先生著」「山延年養谷」などの表記が同じことから,⑤の底本は④『病因診候 : 脈法真知 脈法手引草』または別の本だと思われる。もしかしたら,④の藤村表英考註にヒントが書いてあるのかもしれない。
 ①②の明和7年本の画像に見られる文字間の空白や序跋などから,「山・延年」と判断するのが妥当と思われる。ただそれを「さん・えんねん」と読むか「やま・のぶとし」と読むのか,あるいは他の読み方なのかはわからない。

 「さん」「やま」という姓があるのか気になるところだが,インターネットの名字分布&ランキングサイトによると,「山(やま,やまさわ,のぼる,たか,せん,みのやま)」姓は全国第4,135位で,石川県・新潟県・北海道などを中心に約300人いる。それに対して「山延(やまのべ)」姓は全国第38,065位で広島県に70人ほどしかいない。山延年は越後の人なので,「山延」姓よりは「山」姓の可能性が高い。

 通称は「山・延年」だが,調べてみたら本当は「山延」姓だったので「山延 年(やまのべみのる)」と表記を変えた,ということもありえるが(名は養貞なので「山延・養貞」),その場合はその旨の説明があるのが普通である。その根拠の有無については岡部先生か医道の日本社に聞いてみないと結局わからない。
 ご存じの方がいれば,是非とも教えていただきたい。

1 件のコメント:

神麹斎 さんのコメント...

延享3年(1746)に『脉法手引草』成稿,文化4年(1807)に丹波頼理著「本草薬名備考和訓鈔」を,12年(1813)水野広業編「可恃録」をそれぞれ校訂し再版,というのは常識的に考えて,とても無理でしょう。
しかし,富士川文庫の目録に載る『脈法手引草』に,確かに「山澄延年編,附:脈解,明和七年刊」とあるのだとややこしい。まあ,たぶんは目録作成者の余計な仕業なんでしょうが。
山澄延年という人が,きどって中国風に「山 延年」と署名すること自体は有りがちだったと思う。中国にも竹林の七賢人の一人とか,山姓が有るのも常識だったろうし。だから,逆に本当は山田さんとか山村さんとかだった可能性は高い。そんな苗字の,当時の名医はいませんかね。

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