『東洋医学概論』に「七表八裏九道の脈」の説明として,「『脈論口訣』(玉池斉,清)では,基本の脈状と組合わせて二十四にまとめ,表の脈(陽脈)として七脈,裏の脈(陰脈)として八脈,どちらにも属さないとして九脈に分類した。」とある。
毎年のように国家試験に出題される七表八裏九道の脈だが,(1)「玉池斉,清」とは何者か,(2)七表八裏九道の脈に分類されたのはそんなに歴史の新しいものなのか,という疑問を抱く。
「玉池斉,清」とあるからには中国人だろうと当然考えるが,中医学関連の辞典類では「玉池斉」はみつからない。なんと『日本漢方典籍辞典』(小曽戸洋)で,たまたま『脈論口訣』を発見した。
①『日本漢方典籍辞典』(小曽戸洋)
曲直瀬道山(1507~94)の著になるとされる脈診学の専書。『新鐫(せん)増補脈論口訣』と題し,天和3年(1683)年,書林玉池斎(梅村弥右衛門)の序を付して同年刊行された。全五巻。横型本。和文。……。影印本(経絡治療学会,1982)がある。
②次のサイトで『脈論口訣』のpdf画像データを見ることができる。
http://www.kyorindo.biz/staff_001.html
・最初の2ページに,訓点付き漢文で書かれた「増補脈論口訣叙」があり,序末に「天和三昭陽大淵献 / 花洛書林玉池斎書」と書かれている。
・最終ページには「天和三癸亥暦晩春日 / 梅村彌右衛門」とある。
③早稲田大学古典籍総合データベース
【タイトル】新鐫増補脉論口訣. 巻首,巻之1-5 / [曲直瀬道三] [著]
【著者/作者】曲直瀬 玄淵, 1636-1686
【 内 容 】出版書写事項:天和3[1683] 梅村弥右衛門, [京都]/形態:5冊 ; 13×19cm/書名は巻之1の巻頭による 巻首の巻頭・序題:増補脈論口訣 版心書名:増補脉論/序:玉池斎
④京都帝国大学富士川本目録
【資料名】新鐫増補脈論口訣
【 備考 】巻一−五 (外題増補脈論口訣) 林玉池斎輯 天和三年 和小
⑤「梅村弥右衛門」をインターネット検索すると,文学・歴史・医学・節要集などさまざまな分野の本がヒットする。梅村弥右衛門とは,京都の書肆であることが分かる。
【考察】
③は【タイトル】で [曲直瀬道三] [著]と書きながら,【著者/作者】は曲直瀬玄淵とする。曲直瀬玄淵(1636-1686)は江戸時代前期の医師。今大路(曲直瀬)親昌の子。幕府の医官。京都相国寺でまなぶ。慶安4年典薬頭。明暦3年(1657)剃髪して道三を称した。
①は「曲直瀬道山(1507~94)の著になるとされる」というが,『脈論口訣』刊行は天和3年(1683)年なので,この曲直瀬道山とは『啓迪集』を著した初代道山ではなく,曲直瀬玄淵のことだろう。
以上をまとめると,次のようになるだろう。
「曲直瀬玄淵(1636-1686)の著した『脈論口訣』は,天和3年(1683)年に,玉池斎(京都の書肆・梅村弥右衛門)の序を付して同年刊行された。」
5 件のコメント:
七表八裏九道の脈なんてお題目のようなものを教え込んで,毎年のように国家試験に出題することに,どんな意味があるんだろう。脈なんてものは,季節に応じて変化するんだよとか,病状によっても特徴的な変化が様々だよとか,だから病の性格を知るための(ほとんど唯一の,信頼に足る)手がかりだよねとか,だったら脈状の異常を是正する方法を考えなきゃねとか,そんなんで充分だろうし,そんだけは不可闕だろうし。
これはもう怒馬さんの考察で尽きていると思う。
誰かが,出版者を著作者と取り違えて,さらに誰かが,年代からみて清朝の人なんて蛇足を加えた,というんじゃないですか。
梅村さんの通称が弥右衛門で,出版者としての号が玉池斎で,諱もしくは字(の一字?)が清(玉のような池だから清い?)という可能性も無くは無いけれど,まあ考えすぎでしょう。
②のpdf画像をチェックしていたら,巻之三の末(pdfではp.86)に次のようにあるのを見つけました。
「一丁時元亀第四癸酉年七元日
六十七歳
洛下雖知苦齋盍静翁道三
在卯 」
元亀四年・癸酉年は1573年なので,曲直瀬道山(1507~94)の67歳と一致する。『脈論口訣』刊行は天和3年(1683)年なので,初代道三の著したものが110年後に刊行されたということなのか。
②pdfデータの解説は「曲直瀬道三編である。この道三は玄朔であるらしい。先代道三の著の診脈口伝集や脈譯簡略と比べると量が桁違いに多い。戦国時代が終わり世の中が安定したので、印刷コストが下がったためだと思う。したがって、あちこちから持ってきて付け足した感はいがめない。」と玄朔(二代目道三)説をとる。玄朔(1549-1632)は初代道三の著を校訂増補したともいわれるので,この『増補脈論口訣』もそうなのかもしれない。
そこで,上記のまとめは次のように訂正します。
「曲直瀬道山(1507~94)が著したとされる『脈論口訣』は,……」または
「曲直瀬道山(1507~94)またはその系譜に連なる者が著したとされる『脈論口訣』は,……」
「立華正道集」という、江戸期の華道の古書に
天和4年春芳節、尋旧子自序。本文末(跋の前)に刊記「書坊〈植村藤右衛門梓/梅村弥右衛門行〉」。天和4年三陽日、無記名の漢文跋。跋末に刊記「皇都書林〈玉池斎/勉止斎〉連刻」
…同一人物ではないですよね。
私の見てる本は経絡治療学会のですが、②のような?
(増補脈論口訣叙の終わりに天和三昭陽大淵獻 花洛書林玉池斎書 と書いてある。)
中文章の引用では、「道三ノ脉書ニ…」、「口訣ニ曰…」 とか書いてあります。増補でもあるので元のものに色々加筆されたものだと思います。
巻之三の末のは、増補脈論口訣の巻之三の日付ではなく、その前の表が一紙に書かれていて、道三が最後に述べた時の時期が書かれているのだと思います。
道三の切紙の日付が、天文十一(年令不明)、元亀第二(1571)…六十歳(←六十五じゃないと合わない??)、天正第九(1581)…七十五歳と書いてあります。
元亀第四…六十七歳、天正第九の七十五歳と合います。
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