2013年5月28日火曜日

七表八裏九道の脈

 『東洋医学概論』にある「『脈論口訣』(玉池斉,清)では,基本の脈状と組合わせて二十四にまとめ,表の脈(陽脈)として七脈,裏の脈(陰脈)として八脈,どちらにも属さないとして九脈に分類した。」という一文を読めば,「七表八裏九道の脈」という分類を初めて行なったのは『脈論口訣』だと,多くの学生は理解するだろう。

 「七表八裏九道の脈」を調べてみると,六朝時代の高陽生が王叔和の名を騙って著したといわれる『王叔和脈訣』がその始まりらしい。『脈訣』は入門者のために歌訣を用いて易しく書いたものの,学術的には問題が多く,後世の多くの医家がその誤りを正している。特に明清以降は評判がすこぶる悪く,現代中国でも大学の教科書(国家規劃教材)や教学参考叢書には「七表八裏九道の脈」の名はまったく出てこない。

 では,日本には中国での批判は伝わらなかったのか?
 教科書に載っている『脉法手引草』には,「七表は浮、……。八裏は微、……。九道は長、……。これ陰陽を兼ね合わせたる脈なり。以上二十四脉を以て三等分に分くることは高陽生が脉訣の誤りなり。」とある。(『中医臨床』通巻107号「針灸質問コーナー」で王財源先生も,九道の脈は「陰にも陽にも共通する陰陽脈」と考えた方がよいと説明している)。
 また日本に影響を与えた滑伯仁が書いた『診家枢要』の巻末にも「蓋以相為対待者,以見曰陰曰陽為表為裏。不必断断然七表八裏九道如昔人云云也。(蓋し対待を相為すを以てする者は,以て陰といい,陽といい,表となり,裏となるを見る。必ずしも七表八裏九道の昔人の云云するが如きに断断然たらざるなり。〔遠藤了一・読み下し〕)」とある。

 以上の2点から考えると,江戸時代の日本の鍼師も「七表八裏九道の脈」にはさまざまな議論があることは理解していたはずである。また,昭和初期の経絡治療系の先生方もこれらの本は読んでいたと思われる。 
 これほど議論のある内容を,何の説明もなく教科書に載せるようになってしまったのは,いつからのことだろうか?

1 件のコメント:

ケロリン さんのコメント...

三因方の七表八裏九道の所でも、脈訣刊誤集解の解釈を見ながら話したのですが、脈経には出てこないんですよね。
三因方の最初の脈経序にも、六朝に高陽生というものがいて、剽窃して歌訣を作り…と出てきます。

で、九道は、色々違います。例えば…
三因方は
「細・動・虚・促・結・代・數・散・革」
鍼灸重宝記だと、
「細・動・虚・促・結・代・長・短・牢」

ところで教科書に載せる理由は、もしやあの有名な鍼灸重宝記の影響?

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