教科書『東洋医学概論』は,手厥陰心包経の経脈病証として「季肋部のつかえ」を挙げている。『大辞林』は,季肋部を「上腹部で左右の肋骨弓下の部分」と説明している。以前から,経脈の走行部位の症状としてはやや離れていると気になっていた。
『霊枢』経脈篇で,この「季肋部のつかえ」に対応する原文は「胸脇支満」しか見当たらない。
『漢方用語大辞典』(燎原)では,「胸脇支満…①肋骨弓下部が膨満することで,心下逆満と同じく,下方より上方に向かって衝きあげ満するもの(『漢方用語辞典』西山英雄・創元社)。②胸脇苦満に同じ。」と説明する。ところがすぐ上では「胸脇…前胸部と両腋下の肋骨部をいう(『簡明中医辞典』中医研究院・広州中医学院)」といい,胸脇の示す部位が一致していない。
『新編簡明中医辞典』(主編/厳世芸ら,人民衛生出版社,2007)では,「胸脇…前胸部と両腋下肋骨部の総称」といい,「胸脇苦満…胸脇部の満悶不舒(脹満して暢かでない)を指す。出典は『傷寒論』辨太陽病脈証併治。『内経』には“胸脇支満”(『霊枢』経脈)や“胸脇満”(『素問』刺熱論)という記載があり,その意味は胸脇苦満と同じである。」と説明している。
『中医臨床』124号「中医の胸脇苦満と古方の胸脇苦満」で奥野氏は,湯液の腹証として教科書に載っている「胸脇苦満…季肋下部に充満感があり,肋骨弓の下縁に指を入れようとしても苦満感や圧痛があって入らないものをいう」というのは,胸脇苦満を他覚的に診察するための手段として吉益東洞が考え出したものであり,傷寒論にある本来の胸脇苦満(自覚症状)とは異なると説明している。
『漢方用語辞典』西山英雄・創元社は,「胸脇」を「肋骨弓下部」としていて,日本漢方(古方派)の影響を受けたものと考えられる。『漢方用語大辞典』(燎原)は,ある項目は中国出版の辞典から引用し,またある項目は日本『漢方辞典』の日本漢方的解釈から引用しているので,辞書内に矛盾がある。
『霊枢』経脈篇・手厥陰心包経の経脈病証の「胸脇支満」は,「季肋部のつかえ」ではなく,「胸や脇(胸郭全体)の脹満」とすべきではないだろうか。
また,さらに教科書は,足厥陰肝経の経脈病証に「季肋部の腫れ」を挙げているが,それに対応すると思われる『霊枢』経脈篇の原文は「胸満」しかない。なぜ「季肋部の腫れ」にしてしまったのだろう。
上記2つの「季肋部」症状の不適切な訳は,“自覚症状である原文「胸脇・胸」の脹満感” と “古方派の腹診部位としての肋骨弓下部(季肋部)”を混同しているのが原因だろう。
ところで,「季肋」ということばも,日本語と漢語では指す部位が異なるようだ。「胸脇」と同様に気をつけなければいけないのかもしれない。
・『大辞林』第3版 … 上腹部で左右の肋骨弓下の部分。
・『新編簡明中医辞典』…側胸部で第11・第12肋軟骨の部位。(「漢典」(http://www.zdic.net/)も同様)
1 件のコメント:
十六難「假令得肝脉」のその病に,先ず「四肢滿」とある。これはたぶん,「四肢がはれて満ちる」ではなくて,「四方に支え満ちる」だと思う。四方には,胸も脇も肋骨部も含まれるのだろう。肢は支であるべきで,また榰と同じ。
『霊枢』では,「支滿」は,おおむね肝の病として登場していると思う。経脈篇でも,流注では「貫膈布脅肋」という。病症に言わないのは,手の厥陰に譲って,足の厥陰は陰器に関わることを際立たせたのかも知れない。
コメントを投稿