2012年8月31日金曜日

良書はさまざま

黄帝を書名に冠する古医籍を読むことが,そんなに簡単であろうはずが無い。
古代中国の医学を掘り起こして実践したいと言っているんでしょう,二千年以上も前の医学の経典著作を読もうとしているんでしょう。それはもう大それた企てなんです。

やり方次第で読めなくも無い。中途の人たちよりも,意外と,我々のほうが精確に読めるかも知れない。でもそれは,中途で頑張ってくれた人たちのお蔭です。
でもそれは,中途で頑張ってくれた人たちと似たような努力を(その何分の一かでも)すればの話です。

例えば,段逸山教授の『古医籍詞義辨別法』を読めば,随分と道がはかどるだろうと思うから,だれか(新訳でも)出してくれないかなとは思います。でも他に,同様に役に立ちそうな本ならいくらも有ります。例えば『中医古籍校読法』なんかどうですか。主編は同じく段教授で,実際の原稿の多くは沈澍農さんと劉更正さんが書いて,討論を重ねて成ったものらしい。三人とも,この世界の重鎮ですから,信頼はおけると思いますよ。2009年3月の人民衛生出版社発行ですから,まだなんとか手に入るでしょう。内容が知りたかったら,亜東書店でも覗いてやってください。
特筆すべきは,(横組みだけど)繁体字です。日本人にはかえって楽かも知れない。でも,中国の先生としては,古籍が読みたかったら繁体字に慣れさせる必要が有るからという意地悪かも知れない。「繁体字くらいにたじろいて,どうするんだ!」なんてね。

5 件のコメント:

神麹斎 さんのコメント...

古医籍にしばしば登場する多義詞について,ここではどの意味に解すべきかを弁別するのは,無論のこと一大事ではある。
けれども,よくよく考えてみれば,そもそも古医籍には文字の誤りが有るのが当たり前。なのに,その誤字の前で腕組みして,素直に沈思黙考したってしょうがない。先ず文字は正して,しかる後に辞書なり,注釈なりを頼りにして,さて,そこには何が書かれているのか,書かれていることをどう理解するかに悩むべき。
だから,『中医古籍校読法』なんて書名は,とても魅力的だと思うけど。

横道 さんのコメント...

『中医古籍校読法』、亜東書店に在庫がありました。

神麹斎 さんのコメント...

『医古文』(供中医学含骨傷方向針灸推拿学等専業用 第2版)なんてのも出ているみたいです。これは主編が沈澍農さんだから取り上げただけで,まだ日本には届いて無いようです。だから当然ながら,内容はよく分かりません。ただ,簡体字のようです。
http://www.pmph.com/books/15856.shtml

神麹斎 さんのコメント...

どちらかというとね,医古文なんてものを専門にしている先生は,昔風にいえば文人タイプが多くてね,だから段さんの文章にも,いささか気取ったところが見え隠れする。で,その中では,『古医籍詞義辨別法』の書きっぷりは平明だと思ったわけ。逆に,比較的最近の『段逸山挙要医古文』なんてのは,編集者の手綱も緩んだのか,やりたい放題に近いんじゃないか。内容的には面白そうだし,気取ってると言ったってこれくらいの文章が読めなくてどうする,なんて言われそう。それはまあ確かに,過去の医家の中にも,文人は多そうで,もっともっと気取った文章を書いてた,かも知れないし。

『段逸山挙要医古文』は,2010年4月に天津科学技術出版社から出版,A5版で約400ページ。

例えば,「水漲船高 水落石出 ――相形挙要」
蓋叫天老先生は身体は大きくないが,もとより「江南の活き武松」の誉れを享受していた。なにも怪しむことはない。蓋老には身体に覚え込ませた絶技の外に,「秘訣」とでもいうべきものが有った。武二郎を演ずるたび,見えを切る寸前に,いつも身を縮こまらせて蹲踞し,「タン」という銅鑼の一声にのって,さっと身をおこし肩を聳やかしてポーズをとる,すると観衆には雲を衝いて立ったが如き感が生じる。これは「蹲」と「聳」をはっきり対比させたのであって,蹲の縮こまった状態から聳の高さが突如として出現するのである。世上の万物,人の百態は,いずれもこの対比の二字から逃れられない。映画にはレンズの遠近の対比があり,絵画には光線の明暗の対比があり,音楽にはリズムの快慢の対比が有る。対比が無くては,映画は観るにたえないし,絵画は鑑賞すべくもなく,音楽は聴きぐるしい。『三国演義』の「甘露寺招親」における劉備は,すでに五十歳に近いのに,呉の国太は一目見て気に入り,若くて瑞々しいおのが女をこの「大耳郎」に嫁がせたいと心底から願う。これには孫権がそこにいるのがかかわっている。背丈も相貌も普通である劉皇叔は「顎が角張って口が大きく,碧い眼で紫の鬚」の孫仲謀からすれば,自然と中庸を得ていることになる。文章を書くときに,こうした対比を用いるのはきわめて普通のことである。句子の長と短,句式の常と変,描写の粗と細,叙述の順と倒……もしそんなことは形式の面からみたに過ぎないというなら,さらに純粋な内容の面から筆をすすめたものもある。この類の相互に対比した事物の助けを得て主旨の所在を際だたせる方法を,「相形」と称する。運用が当を得れば,表現したいものの姿はきわだち,生き生きとして,説得力に富んだものとなる。作者の用意の有る所によって,相形は三種に剖つことができる。
●意偏其一
いくつかの事物の相互対照を通して,その中の一つの事物を際だたせたい,というのがこの種の相形の特徴である。相対させる事物の間に存在する主と賓の違いによって――際だたせたい事物を主と為し,借りてもって他方を際だたせる事物を賓と為すから,またこれを名づけて主賓相形という。前人が衬托と称するものには,正衬と反衬の二項目が有る。清の人・毛宗崗がこの二つに対して行き届いた解析を行っている。「文には正衬と反衬が有る。魯粛の愚直を表現して,孔明の狡猾を際だたせるのが,反衬である。周瑜の狡猾を表現して,孔明はもっと狡猾と際だたせるのが,正衬である。たとえば国一番の美女を表現するのに,醜い女形と対比させるのは,美しい女形と対比させて,それよりもさらに美しいと感じさせるのにはしかない。虎のように勇敢な将軍を表現するのに,臆病な男と対比させるのは,勇敢な男と対比させて,それよりもっと勇敢だと感じさせるのにはしかない。」正衬の主と賓では,意義は相い類する。賓を借りて主を際だたせるのであって,小美をもって大美を際だたせ,小勇を以て大勇を際だたせる。これは水が漲れば船はさらに高みに在るというようなものである。反衬の主と賓では,意義は相い反する。賓をもって主を際だたせるのであって,醜をもって美を際だたせ,臆病をもって勇敢を際だたせる。これは水が無くなれば川底の石が出ててっぺんは高みに在るというようなものである。(以下略)

神麹斎 さんのコメント...

 蓋叫天(1888~1971)は京劇の名優。活躍の場が主として上海で,だから段先生もこうしたところへ登場を願ったわけだ。日本の能や歌舞伎のように,京劇俳優にも専門があって,この人は武生, つまり豪傑役ですね。で,身体は小さいのに,という話になる。「武松」は,当たり役だったようで,ビデオも入手できるらしい。上海だから「江南の」,名優だから「活き武松」というわけ。
 武松は,言わずと知れた『水滸伝』の行者の武松,百八人の中でも指折りの豪傑らしい豪傑です。で,武二郎というのは,二男だからそう呼んだ。兄は武植で,こちらは武大,女房の潘金連に毒殺され,その話が敷延されたのが『金瓶梅』というわけです。だから,山東では,現に武という姓氏で現に長男であっても,「武大」なんぞと呼びかけたら絶交になるという話。『水滸伝』には,どういうわけか諱だとか字だとかはほとんど出てこないが,大郎とか二郎とかならたまに出る。
 『三国演義』の「甘露寺招親」というのは,孫権、周瑜が,呉のお姫様を劉備に嫁がせると言って,鼻の下を伸ばさせておいて,そのすきに劉備を暗殺し,あるいはその勢力をのっとり,吸収してしまおうとする。ところが手違いから,呉国太,つまり先代の王のお后,ここでは孫権の実の母親でなく,その姉妹だったと思うが,何にせよ独特の勢力をもった存在なんですが(姉妹して后だった),劉備をみて気に入ってしまう。その場が甘露寺であり,招親は婚姻を結ぼうとすること。「甘露寺招親」も京劇の,人気の高い演目です。劉備を劉皇叔と呼ぶのは,献帝に始めてお目通りしたとき,家系を問われて,中山靖王劉勝の末裔なんてことを答えたら,おお,それでは遠いとはいえ親族で叔父にあたる,なんてことになった。勿論,こんなのは身方が欲しい献帝の大盤振る舞いですよ。
 孫権は大男で,容貌魁偉で碧眼紫鬚ということになっている。今だと人種差別と騒がれそうだが,それほどの蔑視ではないだろう。ただ,異常だという意識は有って,普通が良いという感覚も有ったらしい。異民族の血を意識しているのかも知れない。いや,劉備にだって異常は有るんですよ。大耳郎というのがそれです。でも耳が大きいのは聖人の相とされていたような気配も有る。

というようなことを知らないと,『段逸山挙要医古文』は,読んでも面白くもなんともない,だからしんどいというお話。

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