2012年9月9日日曜日

未病

電車に乗って,『素問』を開いて,すぐに見つかったのですが,ときすでに遅しでした。四気調神大論です。『太素』なら巻二の順養。下に『太素』の経文の和訓と,楊上善注の和訳を載せておきます。会場で私が言ったのとは,微妙にニュアンスが違うかも知れない。ご容赦。
聖人は已に病むを治めず未だ病まざるを治め,已に乱れたるを治めず未だ乱れざるを治む,とはこれをこれ謂うなり。それ病已に形を成して後にこれに薬し,乱成りて後にこれを治めるは,なおたとえば渴して井を穿ち,闘いて兵を鋳るがごとし,また晩からずや。
楊上善注:身体が病となり国家が乱れても,未だわずかの徴もみえないうちに道を行うのが,古の聖人である。病や乱がすでに徴をあらわしてからそれを散ずるのは,賢人の道である。病や乱がすでに成った後になって治めようとするのは,凡人の過失である。そんなものを治めようとしても無益であるから,いまさら井戸を掘ったり武器を鋳造したってその過失を救うことができないことをもって譬えとするのである。

それにしても,此之謂也というからには,当時の諺のようなものです。それなのに,その出処は解りません。むしろ譬喩に使われたほうの穿井とか鋳兵のほうが昔の書物にみえます。何だかよく分かりませんね。

2 件のコメント:

唐辺睦 さんのコメント...

四気調神大論の篇末に在るということは、季節に相応しくない生活態度で病気になって、それであたふたするんじゃ駄目だよという意味でしょう。ということは某社がコマーシャルに使って、うちの命を養う酒を日々に口に含んでいれば大丈夫!というのは、少し違うのではないか。

神麹斎 さんのコメント...

『晏子・雑上』:譬之猶臨難而遽鑄兵,噎而遽掘井,雖速亦無及已。
『墨子・公孟篇』:譬猶噎而穿井也,死而求醫也。
いずれも,森立之『素問攷注』からの孫引き。

「聖人不治已病治未病,不治已亂治未亂」のほうは,森立之でさえ,古い文献からは見つけ出してない。今さら,見つかる,と期待するのも難しかろう。
意味は,喉が渇く前に井戸は掘っておけ,戦が始まる前に武器は鋳ておけ,という忠告からすれば,病気になってあたふたするんじゃなくて,もしものときの為には薬とか針とかは用意しておけ,という意味のはずだけど,唐辺睦さんのいうように,四気調神大論の末に在ることを重視すれば,季節にかなった養生の重要性を考えるべきかも知れない。

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