侃侃にはまた,「うちとけるさま」という解もある。『説文』に引かれた話も,現行の『論語』先進では,「子路行行如也。冉有、子貢侃侃如也」であり,普通には「子路は意気軒昂,冉有や子貢は人なつっこい」と解される。しかも「若由也,不得其死然」(子路のようだと,畳の上で死ねそうもない)と続けている。これはもう剛直は行行,侃侃は「うちとけるさま」でよさそうに思える。でも,ひょっとすると,子路は意気軒昂を行動に移してしまうから危ない。冉有や子貢も「言うべきことは言う」,けれども身を謹むから大丈夫,ということかも知れない。また,『論語』郷党には,「朝与下大夫言,侃侃如也;与上大夫言,誾誾如也」とあって,一般に「朝廷で下級の大夫と話すにはいと物柔らかに,上級の大夫に対しては穏やかに是非を説明する」と解されているが,これだって「朝廷で下級の大夫と話すには剛直に意見を陳べる」かも知れない。『論語』には,真理を述べるというよりも,処世の術を説くという面が有りそうに思う。
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侃侃にはまた,「うちとけるさま」という解もある。『説文』に引かれた話も,現行の『論語』先進では,「子路行行如也。冉有、子貢侃侃如也」であり,普通には「子路は意気軒昂,冉有や子貢は人なつっこい」と解される。しかも「若由也,不得其死然」(子路のようだと,畳の上で死ねそうもない)と続けている。これはもう剛直は行行,侃侃は「うちとけるさま」でよさそうに思える。でも,ひょっとすると,子路は意気軒昂を行動に移してしまうから危ない。冉有や子貢も「言うべきことは言う」,けれども身を謹むから大丈夫,ということかも知れない。
また,『論語』郷党には,「朝与下大夫言,侃侃如也;与上大夫言,誾誾如也」とあって,一般に「朝廷で下級の大夫と話すにはいと物柔らかに,上級の大夫に対しては穏やかに是非を説明する」と解されているが,これだって「朝廷で下級の大夫と話すには剛直に意見を陳べる」かも知れない。『論語』には,真理を述べるというよりも,処世の術を説くという面が有りそうに思う。
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