昔在黃帝生而神靈弱而能言幼而徇齊長而敦敏成而登天じゃあ注が入ったら,必ず文章は切れるのかというと,そうとも限らない。例えば「歧伯對曰」の「歧」の下に,「岐と書かれることもある」なんて書き込むことも有るかも知れない。
廼問於天師曰余聞上古之人春秋皆度百歳而動作不衰今時之人年半百而動作皆衰者時世異耶人將失之耶
歧伯對曰上古之人其知道者法於陰陽和於術數
食飲有節起居有常不妄作勞
故能形與神俱而盡終其天年度百歳乃去
今時之人不然也
以酒爲漿
以妄爲常
醉以入房
以欲竭其精以耗散其眞
不知持滿不時御神
務快其心逆於生樂
起居無節故半百而衰也
先ず最初に,この篇は問答になっているから,「問いて曰く」とか「こたえて曰く」とかをチェックしましょう。ここでは「廼問於天師曰」と「歧伯對曰」ですね。「廼問於天師曰」の前のゴチャゴチャは,芝居の台本でいえば,ト書きのようなものです。まあ,一緒にチェックしておきましょう。
ついでながら,「對」は「対」の旧字体で,辞典を引くと「上位者からの質問に答える」と最初に載ってます。へ~,そうなんだ!と感心する楽しみを,早めに覚えるといい。
黄帝が天師こと歧伯(天師=歧伯は,王冰が注中でいっている)に問うた内容には,「上古の人」と「今時の人」が対(これは「つい」,日本語用法で,二つで一組になるもの,ペア)になっています。「時代が違うのか」と「人が違うのか」もそうですね。対を見つけると,話の構造がわかりやすい。
歧伯の対える内容だって同じことです。取りあえず,対になりそうな言葉にチェックを入れて,にらんでいれば,何をいいたいのか,朧気に浮かんできませんか。
あ,そうです。「以酒爲漿」とか「以妄爲常」とか「醉以入房」とか,ひょっとすると四字で切れることが多いんじゃないか,と感じた人,大正解です。他の部分にもかなり多いです。何故かって?わかりません。きっと,口調がよかったんでしょう。取りあえず,四字で切ってみて,なんだかそれで上手くいけば,それはそれで……。駄目なら,また工夫する。
1 件のコメント:
ペアをペアとして解釈しようとすると,どうなるか。例えば「以欲竭其精以耗散其眞」,ちょっと前までは「以てその精を竭さんと欲し,以てその真を耗散す」なんて,訓んでいたんじゃないかな。でも,精をすっかりなくすように欲する,なんて変でしょう。ここはやっぱり,「欲を以てその精を竭す」でしょう。欲情のせいで精をすっかりなくしてしまう。だったら,下も「耗を以てその真を散ず」と訓みたいわけです。「耗」に適当な意味が有るのか知ら……。すりへらす,ついやす,そこなう,などが有るから,全くだめとは思わない。でも,ちょっと注意してみると,新校正に「甲乙経を按ずるに,耗を好に作る」とあります。「好を以てその真を散ず」,良さそうでしょう。ところが,漢和辞典に必ずしもぴったりの字義が載るかというと,ちょっと微妙なところ。まあ,美しい,このましい女の子というのが原義らしいから,まあ大丈夫だと思うけど……,なんて具合に読み進めていきます。
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