2012年7月30日月曜日

『素問』標本病伝論

7月の読書会は,久しぶりだったんで,他の話に花が咲いたり,他の本に手こずったりで,『素問』は結局,標本病伝論しか読めませんでした。
しかし,標本病伝論というのは妙な篇ですね。ほとんど同文が『霊枢』にも有る。前半の標本を論ずる部分の後の半分は,『霊枢』の病本篇と同じ。後半の病の伝変を論ずる部分は,『霊枢』の病伝篇の前の半分と同じ。どうして,そんなことが起こったんですかね。『素問』学派も『霊枢』学派も,自分たちのものとして欲しがったということですか。
いっていることはそんなに大したことでもない,と思うけど。
病には標と本が有る。本は病のもともとの始まりで,標はその結果としての異常だから,先ず本を治すそうというのが原則ではあるけれど,中満と大小便不利は標であっても先に解決させておく。それと,病んで身体が虚してしまっていれば,それを何とかしなくてはどうにもならない。
病が伝わって行くについてはパターンが有る。一部に例外は有るけれど,おおむね心(心痛)→肺(喘欬)→肝(脇支満)→脾(身痛体重)→胃(脹満)→腎(少腹腰脊痛,䯒痠)→膀胱(背膂筋痛,小便閉)→胃→肝という具合。しかし,これは五行の相剋関係なのかね。下まで行っての折り返しのようでもあるんだが。

8 件のコメント:

横道 さんのコメント...

どうして、下まで行って折り返されるようになったのでしょうか。
これは実際の臨床から導きだされたものなのか、それとも虚構なのか、疑問に思います。

神麹斎 さんのコメント...

そもそも病が伝わるについて,パターンが有るのかどうか,それが問題なんでしょうが,古代の医者としても,予後の判断は死活問題なわけで,だからこれからどうなるかは,なんとかして知りたい。王様の治療で予想に反して死なれたら,医者自身の命が危ない。
とすると,何らかのパターンが有りそうと気付いたものは,当然ながらその経験を蓄積する。で,応用範囲を広げたいから,そこに規則性を捜す,構築しようと試みる。それを私たちは虚構というけれど,嘘という意味ではない。その時々の最も科学的と思われる規則性を拠りどころとして説明する。そこで,奥までいっての折り返しみたいだと思うか,五行説の相剋関係が有ると考えるか。五行説のほうが整理が良い,格好いい。でも,胃とか膀胱が登場するところからすると,もともとは奥までいって折り返すという,より素朴な説明だったかも知れない。そのほうが,より生な臨床経験と言えるかも知れない。
勿論,実際には『素問』だ『霊枢』だという文章には,後から五行説による整理が加わってくるのは避けがたい。でも,現代の我々にとっては,彼らが何を経験したかのほうに,より深い関心が有る。
それはまあ,整理にも価値は有る。全く整理の無い経験は,所詮,経験した当人にしか分かりようが無い。とすると,現代科学的な整理を信頼するか,古代の例えば陰陽五行説の説明に期待するか。現代科学に閉塞感を抱いている人は,陰陽五行説は魅力的かも知れないが,なんだかインチキ臭いと恐れるものもいる。私なんぞは陰陽五行説なんて大嫌いと吠えている。でもね,この大嫌いというのは,私の『難経』嫌いとともに,少なくともここの仲間には,「本当は好きなんじゃないの」と陰口をたたいてほしいような,そんなふうな大嫌いです。盲信者は手に負えない。
で,今回の場合は,古代の名医が経験した病変の中での,ひょっとすると奥までいっての折り返しじゃないかという,より素朴な気づきは,とりあえず大事にしたい。五行説の相剋関係という,より格好いい説明には,眉に唾して用心してかかろう,とまあいうわけです。

唐辺睦 さんのコメント...

「先ず病んでしかる後に逆するものは、その本を治す。先ず逆してしかる後に病むものは、その本を治す」の逆って、どういう意味なんでしょう。篇の最初の「刺に逆従が有る」は、刺して治するには,正攻法の他に,逆療法も有るというようなことだと思うけど、ここはそうはいかないような……。

神麹斎 さんのコメント...

諸説のなかで,一番びっくりしたのは,呉崑の嘔逆というもの。篇の冒頭から読んでくると,まさかと思ったけど,考えてみると以下で相応することばは,他に寒、熱、泄、中満など。してみると嘔逆という説も,いや,棄てがたい。でも,前のほうの逆はそうはいかない。キーワードの意味ががらっと変わるとしたら,やっぱり,標本病伝論の前半の,さらに前部分,つまり『素問』病本に無い部分と,後半分の双方に有る部分には,別の由来が有るんだろうか。

乗黄 さんのコメント...

意外に私は「嘔逆」の「逆」は受け入れる事ができたんです。ただ、あくまでも「嘔気」としてだけではなく、大きな意味合いでの病症としての「逆」です。その一つが「嘔逆」です。
それと、横道さんの「臨床から導きだされたものなのか、それとも虚構なのか」ですが、旨い料理を一品、一品を作ってもその盛り付けが上手くないとやっぱり、旨くなくなってしまうのと同じで、一つ一つの臨床体験が事実だとしても(事実でなくとも)、それなりの書き手ならやはり、その盛り付けは工夫するだろうし、その書き手が大阪人気質なら盛り
すぎるかもしれないですよね。

しかし、病を移り来るのを待ち伏せして、”狙い打つ”のはカッコいいかもしれないけれど、巷ではそれが臨床話術化(経営話術)したりしているのがどうも納得がいかない私でもあります。

横道 さんのコメント...

五行の相勝関係できれいに伝変するというパターンは何かしら作為的な面もありそうな気もします。
しかし、そこに、胃とか膀胱とか小腸とかが伝変に含まれると、やはり経験からくる考察が含まれているように思います。

神麹斎 さんのコメント...

なぜ六府のうちの胃と膀胱が加わって,大、小腸や胆や三焦が無いのか?おそらくは大、小腸は胃と同類,胆と肝は一体,三焦は膀胱と同類(同類と一体は使い分けるというほどではない,まあ何となくそう書いてみた……)。つまり,『霊枢』邪気蔵府病形の府病合輸をまとめた人との,感性の共通を思います。

唐辺睦 さんのコメント...

つまるところ栄養の摂取と、水液の排出が、二つの重大事ということじゃないですか。

コメントを投稿