2012年8月22日水曜日

上古天真論をもう少し

続いてどういう態度であるべきかを縷々述べる。郭教授が誤りだから正すべきだという文字は( )に入れ,正しいとする文字は〔 〕に入れて示せば,
夫上古聖人之敎(下也,)〔也,下〕皆(謂)〔爲〕之,虚邪賊風,避之有時,恬惔虚无,眞氣從之,精神内守,病安從來。是以志閑而少欲,心安而不懼,形勞而不倦,氣從以順,各從其欲,皆得所願。故美其食,任其服,樂其俗,高下不相慕,其民故(曰)〔日〕朴。是以嗜欲不能勞其目,淫邪不能惑其心,愚智賢不肖不懼於物,故合於道,所以能年皆度百歳而動作不衰者,以其德全不危〔故〕也。
この文章が好きな人は多いんですね。渋江抽斎なんかも,「恬惔虚無なれば,真気はこれに従い,精神は中を守る,病いずこより来たらん」が大好きだったみたい。でも,はやり病で,あっさり亡くなっている。精神の持ちようだけではどうにもならないことは有る。
【語訳】を直訳すれば,
上古の時代に在っては,深く明らかに道理を修養したものの教誨に対しては,人々はだれしもよく従うことができた。四時の不正の虚邪賊風に対しては,適時に回避することが出来たし,同時に心持ちの上では清静を保ち,欲求などは無く,真気が内に蔵され,精神は内を守ってすりへったり散じたりしない。そうであれば,病なんぞはどこから来るというのか?だから彼らの精神はいつも安閑としていて,欲望も極めて少なく,心境が安定していて,恐懼というものが無く,形体を労したとしても,過分に疲労することも無く,真気は平和で順調であり,だれしもおのれの心思に順って,いずれも満足を得られ,何を食べても美味いと思い,何を着ても心地よいと思い,習俗に随って安らかであり,互いの間でも地位の高下を羨むようなことが無く,人々はみな自然に朴訥であった。だから正当でない嗜好が,視聴をわずらわすようなことも無く,淫乱邪説といえども,彼の心を誘惑することはならず,愚者と賢者と不肖なものを問わず,酒食などを求めるに急などということが無いのは,つまり養生の道に叶っているわけである。総じて,彼らがいずれも百歳を越えて動作に衰えがみられなかった所以は,彼らの養生の道がちゃんと備わっていて偏頗なところが無かったからである。
まあ,そううまくいけば理想なんですがね,人間はそんなに賢くない……,と昔の人も嘆いていたわけ。

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