『中医古籍校読法例析』(邵冠勇著) の粗々訳を少しずつ載せていきます。ご指摘よろしくお願いします。
自序
私は古書を読むのが好きだが,常にその方法に苦労した。
1961年に山東大学に入学し,殷孟倫先生に師事して古代漢語を専攻する研究生となった。先生は諄諄と校読法を教授され,黄季先先生が書いた校読に関する自筆本を見せてくれた。
またかつて学生のために編集された『新知偶拾』が収録していたのはみな,当時の専門家が研究を通じて体得・会得した内容であった。その第一篇は呉則虞先生が1962年3月18日に『文匯報』に発表した『論考拠(考察の根拠を論じる)』であり,第二篇は彭鐸先生が1961年11月18に『光明日報』に発表した『古籍校読法』である。
また張舜徽先生の『中国古代史籍校読法』が出版されたのは,ちょうど1962年の書籍購入が困難な時期であり,先生はわざわざ新華書店の発行部と約束をして,私のために一部を予約してくれた。人の耳を引き寄せ言い面と向かって教えるという懇切丁寧な先生の指導により,校読法について悟ることが非常に多かった。『尓雅』『説文』の校読で得たものは非常に大きく,その後古籍を閲読する際の不可欠の方法となった。
山東中医学院(現山東中医薬大学の前身)で医古文の授業に従事して以来,しばしば校読法を利用して中医古籍を読んで収穫があった。そして『医経考異』などの文章を書いて本校学報などの刊行物に発表した。
1987年,博士課程の研究生向けに古代漢語の科目を開設することが決まったとき,学部段階ですでに医古文の授業を学び,修士課程段階で古代語の文字・音韻・訓詁などの内容を系統的に学んでいることを考慮して,校読法を利用して古代漢語経典専門書である『尓雅』『説文』や中国医学の経典である『素問』『霊枢』などを研究講読させることにした。日ごろ中国医学古籍を校読して遭遇した実例に分析を加えて分類し,一部にまとめて『中医古籍校読法例析』と題し,学生に校読を指導するための講義用教材とした。
もちろん誤謬は避けがたい。あるいは千慮の得(愚者の考えにも千に一回はよいものがある)があるはずである。惟善读者择焉。(どうか優秀なる読者が選択されることを願う。?)
邵冠勇 2011年5月1日
3 件のコメント:
「惟善读者择焉」を,漢文風にいえば「ただ善き読者の択ばんことをねがう」と訓んだのだと思うけれど,むしろ「ただ読者の択を善しとするなり」,あるいは「ただ善し読者択せられよ」じゃなかろうか。つまり,わたし邵冠勇としては最善のものを作ったつもりだから,あとは選ぶかどうかは読者,あなたが決めればいいよ,あなたの問題だよ,ではなかろうか。文字面は謙虚に,実は自信満々。
誤謬のところは,もとより避けがたいでしょうが,千慮に一得も,あるいは有ろうかと思います。この書物を択るかどうかは,ただ読者の判断を善しといたしましょう。
誤謬の処は,自然と免れ難し,千慮の得も,或いは当にこれ有らん。ただ善し読者の択せられんことを。
かな。
誤りの有るのは免れ難いし,でも千慮の一得も有るだろう。だから,いわば玉石混淆の状態である。あとは,読者に玉と石とを選択してもらえば,善いということにする。
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