こんにちは。古典に興味があって、こちらのサイトを訪問しました。いくつかお伺いしたいのですが、このブログは読書会の様子をお知らせするだけのサイトでしょうか?キコウカイの仲間というのは、このサイト上でのやりとりだけに留まるのでしょうか?読書会予告がありますが、一般の者が参加していいのかどうか、このブログを読む限りわからなかったので、質問してみました。
わたくし,一応は会の代表ということになってますが,運営面はほとんど,むかしからの仲間にまかせっきりです。つまり,入会資格とか,会費とか,資料配付とかは,どういうきまりになっているのか,ようわからん。たぶん,来たい人は誰でもどうぞ,いつからでもどうぞ,だと思う。試しにちょっと覗いてみるのもOKらしい。ひょっとすると,連絡無しにいきなりでも,まあそんなにしかられはしないのかも知れない。覗くだけなら会費も徴収してないみたい。ただし,資料の配付は無いだろうなあ,結構,豊富だから……。(初回の覗きから会費を支払ったほうが,早く内部資料を受け取る資格が生じる?)飲み物や菓子類の持ち込みは歓迎です。お酒は駄目,これは会場の決まりだから(本当は呑みながらやりたいんだけど)。
お返事コメントありがとうございます。この会に興味があれば、誰でも参加できるんですね。ただ、このブログを読む限りとても難しそうで、私は古典を読んだ経験がほとんどないので、ついていけそうにありませんが大丈夫でしょうか?また、「臨床家を育てる」勉強会という期待はしていませんが、鍼灸の治療に古典の内容が少しでも役に立てばいいなと思ってます。それで、変な質問ですが、会のみなさんはこの会をどのように生かされているのでしょうか。
古典を読むのはむずかしい?それはまあむずかしい,けれどそんなに大変なわけじゃない。ページをひらいたら漢字ばっかり,ゲンナリ,ということでしょう。ほんとは高校生用くらいの漢和辞典を引けば,大抵は読めます。問題はどの字を引くかです。引いたらいろんな意味が載ってます。その箇所ではどの意味を採るべきかです。これは勘です。これはもう慣れるしかない。読書会は場慣れの機会です。突拍子もない質問をして恥をかくところです。どうしても,恥をかく頻度の高い人が,上達が早いみたいです。べつに手取足取りで教えるプロがいるわけじゃないです。仲間はどっちみちドングリです。仲間内で恥をかいても,そんなには恥ずかしくない。それが読書会の存在意義です。治療のヒントがほしくて読むということでしょ,そんなら,そんなに大変なわけがない。あっちこちに転がってます。治療の「古典風」マニュアルがほしいだけなら,そういう講習会へいったほうが早い,かもしれない。でも,つまんなくないですか? そうだから,そうなんだ! わたしなら,すぐに飽きる。『素問』『霊枢』は不思議な書物です。こんなことだれも気付いてない!なんてことが初心者にも有る。だから,読書会は気付いたことを得意気に吹聴する舞台でもある。そんなの誰でも気付いてるよ,なんていわれてションボリ,ってことだってある。ようはそういうのがつまらない人と,楽しいという人がいるということ。楽しいと思うがなあ。「みなさんはこの会をどのように生かされているのでしょうか。」これは難しい質問で,各人さまざまなはずだけど,わたし個人について一つだけいえば,あの『よくわかる黄帝内経の基本としくみ』は,この読書会がなければ無かった。何かについてまとめをしようとする,それなりにまとまったかなと話してみる,反応が悪い,かきなおす。つまり,なんてことはない,思いつきを吹聴してたしなめられて,手直しして,その結果があの本です。
神麹斎さんは、とてもやさしく返事されていますが、別スレでも書きましたが私は、「当会で学んだ事をどういかすかは、会員各自に委ねます。自由であると同時に自己責任を重んじます。当会をどういかすかはあなた次第という事であります」というスタンスですね。やはり、個人差が大きいと感じます。 当会は、確かに「自称、臨床家を育てる事」も「臨床的に使える内容を!」何て事をまったく目標に考えていません。しかし、私個人的な事で言わせていただくと、過去に上記の様な「自称、臨床家を育てる!」とか「臨床的に使える内容!」を唄っている会にも所属していました時期もありましたが、何を隠そう当会で学んだ以降の方がよっぽど臨床的になったのです。これは皮肉でした。いや、当会というより、「医古文」を「医古文」として学んだからかもしれません。 これは、少し厳しい意見かもしれませんが、所謂「古典派」と言われる研修会では、実はまともに「医古文」を学んでいない?読めない?方々の集まり(当然、例外もあり)で、当然、それを臨床的に扱えるわけがなく、さもすると「古典派」を唄いながら実は全然「古典派」でなくて、単なる「古典もどきのマニュアル」なんて事もしばしば。挙句の果てには「古典なんて勉強しても仕方ない」「古典では飯が食えない!」なんて言い出す講師がいたり(笑)。 それは、「あなたが古典をまともに読めなくて、臨床にいかしきれていないだけで、当然、教える立場でもないだけ」にも関わらず、そんな講師陣が「古典治療」なんて標榜しているから、ますます初心者たちは混乱するのです。 ここまで、読んで「イラッ!」と感じた人がいたら、それこそ“図星”ですよ。そうでない人は大丈夫です。“例外”に当てはまる方々なのでしょう(御見逸れいたしました)。 少々、話が過激過ぎてきましたのでここまでにしますね(笑)。このコメントは削除対象になる恐れがありますので、後日、なかったら「やっぱりね」と思って下さい。
5 件のコメント:
こんにちは。
古典に興味があって、こちらのサイトを訪問しました。
いくつかお伺いしたいのですが、
このブログは読書会の様子をお知らせするだけのサイトでしょうか?
キコウカイの仲間というのは、このサイト上でのやりとりだけに留まるのでしょうか?
読書会予告がありますが、一般の者が参加していいのかどうか、このブログを読む限りわからなかったので、質問してみました。
わたくし,一応は会の代表ということになってますが,運営面はほとんど,むかしからの仲間にまかせっきりです。
つまり,入会資格とか,会費とか,資料配付とかは,どういうきまりになっているのか,ようわからん。
たぶん,来たい人は誰でもどうぞ,いつからでもどうぞ,だと思う。
試しにちょっと覗いてみるのもOKらしい。ひょっとすると,連絡無しにいきなりでも,まあそんなにしかられはしないのかも知れない。
覗くだけなら会費も徴収してないみたい。ただし,資料の配付は無いだろうなあ,結構,豊富だから……。
(初回の覗きから会費を支払ったほうが,早く内部資料を受け取る資格が生じる?)
飲み物や菓子類の持ち込みは歓迎です。お酒は駄目,これは会場の決まりだから(本当は呑みながらやりたいんだけど)。
お返事コメントありがとうございます。
この会に興味があれば、誰でも参加できるんですね。
ただ、このブログを読む限りとても難しそうで、私は古典を読んだ経験がほとんどないので、ついていけそうにありませんが大丈夫でしょうか?
また、「臨床家を育てる」勉強会という期待はしていませんが、鍼灸の治療に古典の内容が少しでも役に立てばいいなと思ってます。
それで、変な質問ですが、会のみなさんはこの会をどのように生かされているのでしょうか。
古典を読むのはむずかしい?
それはまあむずかしい,けれどそんなに大変なわけじゃない。
ページをひらいたら漢字ばっかり,ゲンナリ,ということでしょう。
ほんとは高校生用くらいの漢和辞典を引けば,大抵は読めます。問題はどの字を引くかです。引いたらいろんな意味が載ってます。その箇所ではどの意味を採るべきかです。これは勘です。これはもう慣れるしかない。
読書会は場慣れの機会です。突拍子もない質問をして恥をかくところです。どうしても,恥をかく頻度の高い人が,上達が早いみたいです。
べつに手取足取りで教えるプロがいるわけじゃないです。
仲間はどっちみちドングリです。仲間内で恥をかいても,そんなには恥ずかしくない。それが読書会の存在意義です。
治療のヒントがほしくて読むということでしょ,そんなら,そんなに大変なわけがない。あっちこちに転がってます。
治療の「古典風」マニュアルがほしいだけなら,そういう講習会へいったほうが早い,かもしれない。
でも,つまんなくないですか? そうだから,そうなんだ! わたしなら,すぐに飽きる。
『素問』『霊枢』は不思議な書物です。こんなことだれも気付いてない!なんてことが初心者にも有る。
だから,読書会は気付いたことを得意気に吹聴する舞台でもある。
そんなの誰でも気付いてるよ,なんていわれてションボリ,ってことだってある。
ようはそういうのがつまらない人と,楽しいという人がいるということ。
楽しいと思うがなあ。
「みなさんはこの会をどのように生かされているのでしょうか。」
これは難しい質問で,各人さまざまなはずだけど,わたし個人について一つだけいえば,あの『よくわかる黄帝内経の基本としくみ』は,この読書会がなければ無かった。何かについてまとめをしようとする,それなりにまとまったかなと話してみる,反応が悪い,かきなおす。つまり,なんてことはない,思いつきを吹聴してたしなめられて,手直しして,その結果があの本です。
神麹斎さんは、とてもやさしく返事されていますが、別スレでも書きましたが私は、「当会で学んだ事をどういかすかは、会員各自に委ねます。自由であると同時に自己責任を重んじます。当会をどういかすかはあなた次第という事であります」というスタンスですね。やはり、個人差が大きいと感じます。
当会は、確かに「自称、臨床家を育てる事」も「臨床的に使える内容を!」何て事をまったく目標に考えていません。しかし、私個人的な事で言わせていただくと、過去に上記の様な「自称、臨床家を育てる!」とか「臨床的に使える内容!」を唄っている会にも所属していました時期もありましたが、何を隠そう当会で学んだ以降の方がよっぽど臨床的になったのです。これは皮肉でした。いや、当会というより、「医古文」を「医古文」として学んだからかもしれません。
これは、少し厳しい意見かもしれませんが、所謂「古典派」と言われる研修会では、実はまともに「医古文」を学んでいない?読めない?方々の集まり(当然、例外もあり)で、当然、それを臨床的に扱えるわけがなく、さもすると「古典派」を唄いながら実は全然「古典派」でなくて、単なる「古典もどきのマニュアル」なんて事もしばしば。挙句の果てには「古典なんて勉強しても仕方ない」「古典では飯が食えない!」なんて言い出す講師がいたり(笑)。
それは、「あなたが古典をまともに読めなくて、臨床にいかしきれていないだけで、当然、教える立場でもないだけ」にも関わらず、そんな講師陣が「古典治療」なんて標榜しているから、ますます初心者たちは混乱するのです。
ここまで、読んで「イラッ!」と感じた人がいたら、それこそ“図星”ですよ。そうでない人は大丈夫です。“例外”に当てはまる方々なのでしょう(御見逸れいたしました)。
少々、話が過激過ぎてきましたのでここまでにしますね(笑)。このコメントは削除対象になる恐れがありますので、後日、なかったら「やっぱりね」と思って下さい。
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