『内経』の篇名にまで、疑わしいところが有るんですか!?
有名なところでは,挙痛論の新校正に,挙痛では意味がよくわからない,この篇では黄帝が「人之五藏卒痛之疾」を問うているくらいだから,挙は卒の誤りではないか,と言ってます。もっとも,全元起本でも五蔵挙痛ですし,王冰注にも挙痛論として引用する箇所が有るんですから,誤りとしても相当に古い誤りということです。
「奇を衒う」って事で言えば、「ニコイチ」を正直に「ニコイチ」と表現したに過ぎないだけかも。
ごめん、乗黄さんのコメントの意味がよくわかりません。もう少しだけ、詳しくお願いします。
すいません。あまりにも奇を衒ったものでしたので何となく詳しくは書き込めなかったんです(笑)。「ニコイチ」つまり、二個のものを一個にしてしまったものを「ニコイチ」って様々業界で使われていますが、表向きにはその性格から表立って表現されません。そこで、第一巻の経合+第二巻の真邪論=真邪論なんですが・・・このままでは「ニコイチ」って事がわからないのでこれは「ニコイチ」ですよ!って意味合いで「離合」って頭に付けて表現しただけなのでは?って事です。当初は、篇名ではなく註として「離合」って書かれていただけかもしれしれない・・・って妄想です。とはいえ、「ニコイチ」=「離合」なんて裏づけ何てありません(笑)。
なるほど、経合と真邪とを、離合して=くっつけて、だから「くっつけた真邪論」=『離合真邪論』というわけですね。(離合を、合の意味だけに取るのは、偏義という修辞法ですね。)
むしろ、「第一巻に在っては経合」の経合が、離合の誤りなんてことは無いのでしょうか。
でも、王冰の『素問』序に「重合經而冠鍼服」とあって、郭靄春主編の『黄帝内経素問校注』は、「合經」を守校本は「經合」に作るとわざわざ言っている。「經合」という論が、古くから有ると考えているのでなかったら、こんなふうには言えないんじゃないか。上海の段逸山先生も,「重複して登場した経合の前に針服という篇名を加える」と読みたそうで、ただ、王冰本にも全元起本にも、針服篇とか針服という文字を含む篇とかが、無いのには困っている。(守校本は、詳しくいえば清咸豊三年銭煕祥守山閣校刻本で、けっこう重要視されている。)経合真邪論という奇を衒った篇名も、棄てがたい、と思うけどなあ。
この王冰序「重合經而冠鍼服」には他にも異見が有って,森立之『素問攷注』では「重合經而冠鍼經」として,「全元起本經合調經二論在第一卷、是也」と言っています。つまり,「『(經)合』、『(調)經』を重ねて鍼経に冠している」と訓むつもりらしい。だったら,ここが「『(離)合』、『(調)經』を重ねて鍼経に冠している」であっても,まあ話は通じます。それに,離合真邪論という名は,王冰注にも何度か登場するのだから,そう簡単には改め難いと思います。ただ,「在第一卷名離合」なんて資料も,今さら見つからないだろうねえ。「鍼経」は,おそらくは『黄帝内経』を,鍼術に関する記載が多いということからそう呼んだのだろうけど,残念ながら王序の「鍼服」を「鍼經」に作る資料が他に有るとも思えません。
学苑出版社『素問考注』は,そこのところを,重《合經》而冠鍼經,としている。鍼經に《 》を付けないのは良いけれど,《合經》は惜しかったね。重《合》、《經》而冠鍼經,とすべきだった。そうであってこそ,森立之は「全元起本の《経合》と《調経》の二論が第一巻に在るのは,これなり」と言える。あ,これは離合真邪論という篇名のはなしからは,だいぶんそれた。
ここは,離合真邪論か経合真邪論かという,戯論の果てなんで,「重合經而冠鍼服」については,自分のBLOG「茶余酒後」で,現時点における解釈を述べておきます。右サイドのLINKSの中に,「霊蘭之室 茶余酒後」というのが有るでしょう。clickして下さい。
11 件のコメント:
『内経』の篇名にまで、疑わしいところが有るんですか!?
有名なところでは,挙痛論の新校正に,挙痛では意味がよくわからない,この篇では黄帝が「人之五藏卒痛之疾」を問うているくらいだから,挙は卒の誤りではないか,と言ってます。もっとも,全元起本でも五蔵挙痛ですし,王冰注にも挙痛論として引用する箇所が有るんですから,誤りとしても相当に古い誤りということです。
「奇を衒う」って事で言えば、「ニコイチ」を正直に
「ニコイチ」と表現したに過ぎないだけかも。
ごめん、乗黄さんのコメントの意味がよくわかりません。もう少しだけ、詳しくお願いします。
すいません。あまりにも奇を衒ったものでしたので
何となく詳しくは書き込めなかったんです(笑)。
「ニコイチ」つまり、二個のものを一個にしてしま
ったものを「ニコイチ」って様々業界で使われていま
すが、表向きにはその性格から表立って表現されません。
そこで、第一巻の経合+第二巻の真邪論=真邪論なんですが・・・
このままでは「ニコイチ」って事がわからないので
これは「ニコイチ」ですよ!って意味合いで「離合」って頭に付けて表現しただけなのでは?って事です。当初は、篇名ではなく註として「離合」って書かれていただけかもしれしれない・・・って妄想です。
とはいえ、「ニコイチ」=「離合」なんて裏づけ何て
ありません(笑)。
なるほど、経合と真邪とを、離合して=くっつけて、だから「くっつけた真邪論」=『離合真邪論』というわけですね。(離合を、合の意味だけに取るのは、偏義という修辞法ですね。)
むしろ、「第一巻に在っては経合」の経合が、離合の誤りなんてことは無いのでしょうか。
でも、王冰の『素問』序に「重合經而冠鍼服」とあって、郭靄春主編の『黄帝内経素問校注』は、「合經」を守校本は「經合」に作るとわざわざ言っている。「經合」という論が、古くから有ると考えているのでなかったら、こんなふうには言えないんじゃないか。上海の段逸山先生も,「重複して登場した経合の前に針服という篇名を加える」と読みたそうで、ただ、王冰本にも全元起本にも、針服篇とか針服という文字を含む篇とかが、無いのには困っている。(守校本は、詳しくいえば清咸豊三年銭煕祥守山閣校刻本で、けっこう重要視されている。)
経合真邪論という奇を衒った篇名も、棄てがたい、と思うけどなあ。
この王冰序「重合經而冠鍼服」には他にも異見が有って,森立之『素問攷注』では「重合經而冠鍼經」として,「全元起本經合調經二論在第一卷、是也」と言っています。つまり,「『(經)合』、『(調)經』を重ねて鍼経に冠している」と訓むつもりらしい。だったら,ここが「『(離)合』、『(調)經』を重ねて鍼経に冠している」であっても,まあ話は通じます。それに,離合真邪論という名は,王冰注にも何度か登場するのだから,そう簡単には改め難いと思います。
ただ,「在第一卷名離合」なんて資料も,今さら見つからないだろうねえ。
「鍼経」は,おそらくは『黄帝内経』を,鍼術に関する記載が多いということからそう呼んだのだろうけど,残念ながら王序の「鍼服」を「鍼經」に作る資料が他に有るとも思えません。
学苑出版社『素問考注』は,そこのところを,
重《合經》而冠鍼經,
としている。鍼經に《 》を付けないのは良いけれど,《合經》は惜しかったね。
重《合》、《經》而冠鍼經,
とすべきだった。そうであってこそ,森立之は「全元起本の《経合》と《調経》の二論が第一巻に在るのは,これなり」と言える。
あ,これは離合真邪論という篇名のはなしからは,だいぶんそれた。
ここは,離合真邪論か経合真邪論かという,戯論の果てなんで,「重合經而冠鍼服」については,自分のBLOG「茶余酒後」で,現時点における解釈を述べておきます。右サイドのLINKSの中に,「霊蘭之室 茶余酒後」というのが有るでしょう。clickして下さい。
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