2013年3月19日火曜日

『中医古籍校読法例析』 001

★001

第一節 校読法釈義

一.何を校読法というか

 一般にいう校読法とは,校書法と読書法の2つを含む。たとえば張舜徽の『中国古代史籍校読法』がそうである。ここでいう校読法とはひとつの読書の方法であり,つまり読書に校(比較)を含ませることで,関連資料を比較検討する読書法である。


即寓校于读之中 or 寓校 がよくわからない。

 
 彭鐸『古籍校読法』には次の文がある。
「いわゆる古籍校読とは別に新しいものではなくて,漢代の劉向(きょう)・劉歆(きん)・楊雄などの人が行なった古籍整理法を推し進めて発展させたものにすぎない。彼らの方式にもとづけば‘一人讀書,校其上下得謬誤為校;一人持本,一人讀書,若冤家相對為讎(一人で書を読み,その上下を比べて間違いを見つけるのが校で,一人が書を持ち,もう一人が書を読み,仇のように対峙するのが仇(讎(しゅう))である)’(『別録』)。
 清代の漢学家は前者の方法をまねて,さらにその範囲を誤字・衍文〔余分な字句〕・脱文・錯簡〔文章の順序の乱れ〕以外の詞義〔語の意味〕・句式〔文型〕・古字通借などの面に拡大した。
 いま私たちは,虚詞の用法・成分の省略・語順の顛倒・話の論理・文章の繁雑と簡潔,さらに表現の技巧にまで拡大することができ,比較することができるものは,すべてひとつひとつ精力を尽くして比較する。」

 普通の閲読法と比較すれば,これはやや高いレベルの読書法で,研究の性質を持った読書法ということができる。

2 件のコメント:

神麹斎 さんのコメント...

「即寓校于读之中」
訳としては,私の好みとしては「すなわち校を読の中に寓させる」でよし,と言いたいところなんです。まあ寓は,さすがに「かりずまいさせる」くらいにはするかも知れない。前が多少は小難しい言葉遣いであっても,要は後に「関連資料を比較検討する読書法」とあればそれで意味はわかるはず。いま少し補えば「関連資料を比較検討しながらの読書法」,ここで「しながら」は,比較検討という作業もかりずまいさせ,一緒にそれも行いながら,のつもり。もう少し上手い言い回しはあるだろうけど。

「一人讀書,校其上下得謬誤為校;一人持本,一人讀書,若冤家相對為讎」
余嘉錫『古書通例』(平凡社・東洋文庫775)に引用されたものの翻訳は:
「讎校」とは,一人で書物を読み,順序を正し誤謬を見つけるのが「校」,一人が底本を手にし,もう一人が文を読み上げ,あたかも怨みをもつ者同士が向かい合うように行うのが「讎」である。
後世は「校讎」(あるいは校讐)という術語になっているんで,少なくとも日本語訳では,讎を仇を書き改めないほうが良いと思う。「校仇」とは書かないと思うけど,中国には例が有るのかねえ。

「較」とはいうけれど,気分としては「やや高いレベル」よりも,「より高いレベル」と胸を張ってるんじゃなかろうか。

十駕 さんのコメント...

 劉向の校讎については011ページにさらに詳しくあるのですが,先日読んだときはすぐ分かりそうにないので飛ばしてしまいました。
 余嘉錫『古書通例』に載っているんですね。チェックしたところ,011ページにある文章すべて訳がありました。
 これでかなり助かります。

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